失って気づくこと

義父が亡くなって5か月。あっという間に時は過ぎていきます。月日は思い出を少しずつ風化させる・・・ でも、それによって分かることもあるようです。

生前、彼は義母からこんなふうに言われていました。

-お父さんは服装に気を遣わない。見苦しいから一緒に出かけたくない。
-いつも私に小言ばかり。そんなことまで言わなくてもいいのに。
-自分の健康を気にしすぎ。それほど頻繁に病院に行かなくてもいいでしょ。

でも、いま考えてみると、そうした振る舞いはすべて彼女への愛情だったようです。

―服装に気を遣わないのは、そのお金を妻や家に回したいから。
-小言は、自分より若く頼りない妻が心配だから。
-病院に行くのは、自分が先に逝って妻を一人にしたくないから。

画像

(OM-D E- M5, M.Zuiko Digital ED 60mm F2.8 Macro)

身近にいると、表面を覆う別のもので、ほんとうの形が見えにくくなるのかもしれません。

いま弊社は人事異動の季節を迎えています。身近にいた同僚や上司がいなくなって初めて、その人の存在が大きかったことに気づく。そんな経験が何度もあります。失って初めて気づくというのは、皮肉なことですね。





この記事へのコメント

  • 監督

    それ故に大事にしようと思えるようにもなります。
    人生、死ぬまで『気付き』ですね。(^^;
    2017年02月25日 14:08
  • ヴィーノ

    >監督さん
    そうですね。いくつになっても「どうしていままで気づかなかったんだろう」と思うことが多いですね。そのたびに自分の未熟さを感じます。
    2017年02月25日 16:51
  • びわ子

    相手が目の前にいるときは、視点を変えることがなかなかできません。
    そういうものだと思います。でも、少しずつわかるようになります。

    この人は、どういう気持ちで、こんな言葉を言ってるのか。それは相手の裏を読む、ということではなく、慮る、ということだと思います。
    今日の1枚、ヴィーノさんの心象を表しているみたいに、優しくてはかなげな素敵な写真ですね
    2017年02月27日 21:04
  • ヴィーノ

    >びわ子さん
    慮る・・・ できそうで、なかなかできないことかもしれませんね。とても日本人らしい行為なのだと思います。写真ありがとうございます。新作の花の写真を掲載するのは、かなり久しぶりです。
    2017年02月27日 21:52